モデラートでいこう、ほどよくおだやかに。

没後80年のお墓参り

没後80年のお墓参り

2025年1月27日。
童心と郷愁の詩人、野口雨情が亡くなって、ちょうど80年にあたるこの日、お孫さんの野口不二子さんと、研究、愛好家のお二方と、雨情のお墓参りをしました。

寒波の予報もありましたが、幸い午前中は日差しにも恵まれ、穏やかな命日となりました。

北茨城市磯原町にある野口雨情生家資料館から国道を約550m北へと向かいます。墓所への目印として「雨情先生」と彫られた小さな石碑があるのですが、おそらく夜間の交通事故防止のためでしょう、三角停止板が立てかけられてしまっています。

そこからは海を背に、墓所へと向かう小道を歩いていきました。

常磐線の小さなガードをくぐると、道は緩やかに丘を上がっていきます。さらに「雨情先生墓 之より上る」という道標からは、相当に急な斜面を登って行きます。足に自信のない方、ご高齢の方はご無理なさらない方がいいくらいの坂道でしたが、不二子さんは足取りも軽く、むしろ先頭に立って道案内をしてくださいました。

野口家の先祖代々が祀られている墓所のあたりは、こんもりとした木立の中にあり、国道や町の喧騒が遠ざかり、風の静けさに包まれていました。

野口家墓所

雨情の墓は、程よくきれいにに保たれていました。定期的にお手入れをされているそうです。墓碑の上の落ち葉や枯れ枝をいくつか取り除いて、香炉に線香を炊き、花立に生家から運んできたお水を注ぎ、不二子さんの供花に私の供花を添えて、そうして、みんなで順番にお参りをしました。

野口雨情墓標

墓碑に彫られた文字は、詩人の泉漾太郎さんによって書かれたもの。

野口雨情墓

雨情先生 本名 英𠮷 明治十五年五月廿九日
量平氏 てる女の長男として磯原町に生る
昭和二十年一月二十七日没す 享年 六十四歳

昭和四十六年一月二十七日 野口雅夫 建墓
             泉漾太郎 述書

研究家の土用三郎さんから、墓碑の本名表記について教えてもらいました。

英𠮷の𠮷の字は、「吉」(さむらいよし)でなく、「𠮷」(つちよし)になっています。
右隣に佇む「ヒロさん」のお墓は、「野口比呂子之墓」となっていました。

それからひととき墓前で、雨情を偲びつつ、没後80年の想いを互いに語り合いました。

帰り道は、行きよりもなおさら急に感じる下り坂で、滑らないように注意が必要です。

墓所への道標

不二子さんから、
「この道は、かつて雨情自身もご先祖の墓参りをした道なんです」とお話を聞いて、
落ち葉を踏みしめる音を聴きながら、足元いっそう身近に雨情を感じました。

野口不二子さんと墓前にて

引き続き「没後80年のお墓参り 後日談」を是非お読みください。
https://www.wildrose21.com/blog-asami/ujo-noguchi/kodaira-grave/